ほーりーの日記

2003年に留学して開始したブログ。2018年5月に他のブログから引っ越してきました。

音楽と人生の交差点

昨日、チャイコフスキー 交響曲第6番 悲愴を演奏した。

人生で3度目の演奏機会でした。

 

1回目は、大学2年生のとき。

2回目は、35才かな。結婚してて、留学から帰ってきた翌年。

3回目が、今回で、地元の市民オケのお手伝い。

 

1回目のときは、fが沢山あるエキサイティングな曲という受け止め方。エネルギーが溢れ、fを見れば大音量、アクセントを見れば強いタンギング。半年に一回の演奏会なので、じっくり向き合って、本番で一音でも外してなるものかという取り組み具合。

ちょうど、妻と付き合いだしそうな雰囲気があった大学二年の冬のコンサートでした。

なつかしや。。。

 

2回目のときは、帰国して、ホームオケに復帰して、中プロに同じチャイコフスキー白鳥の湖組曲やろうとして、結局、組曲ではなく全曲から、あれこれつまみまくって、約60分くらい演奏した。ということは、白鳥の湖=60分+悲愴=45分。。。。

なお、前プロに同じくチャイコフスキーのイタリア奇想曲が追加され、全乗りかつ、吹きまくりのつらいプログラムであった。正直、白鳥の湖で集中力を使い切り、まったく力の抜けた悲愴を演奏した記憶がある。

 

今回は、53才になったいま、人生折り返し地点を過ぎて、悲愴を演奏しながら内容に思うところを多く感じた。

これはチャイコフスキーが人生最後に書いた交響曲です。人生、楽しかったなーと振り返りながら、最後は死ぬんだよね。消えいくようにということを表現しているのかな?と感じた次第。

1楽章、朗々と歌いこむメロディー、生きるって素晴らしい。でも、途中で眠気を覚ますfからは、嵐のうねりが起きる。わたしには、トロンボーン・チューバのコラールは、抗いと勝利、嵐のあとの静寂で楽章を閉じる印象を受けた。

2楽章は、家族や恋人との楽しかった思い出。

3楽章は、戦いと勝利のマーチ。

4楽章は、老齢と諦観。そして死。

 

フォルテを見ても、頑張りすぎない方がいいかな、しっかり鳴らそう。そんな気持ちで臨みました。

 

奏力の低下が酷いので、ところどころみっともないタンギング、音程、リズムで演奏してしまった。練習方法を研究しながら、劣化と向き合っているものの、どうしようもない。でも諦観には至らず、諦め悪く練習は引き続きしていきたい。

 

何を言いたかったのかといえば、

曲は変わらないけど、わたしは変わり、曲との付き合い方も変容しているなということを改めて感じたのです。