ほーりーの日記

2003年に留学して開始したブログ。2018年5月に他のブログから引っ越してきました。

同じ楽譜を複数で吹くのは苦手

今日は、天気もすばらしくよく、ビーチで遊んでいる人もちらほら。

話し変わって、

昔は、夏には何してたっけ?って考えて、高校生の頃は、吹奏楽コンクールだったねぇと思い出す。

賞という目標があると、結構がんばれるもんだなと思うけど、10数分の規定時間内のために、夏中ひたすら同じ2曲(課題曲と自由曲)を練習したもんだ。すごい集中力だったね。

そうそう、チューバは、いつも3人でやってたかな。

オーケストラに移ったひとつの理由として実は、同じ楽譜を複数で演奏するというのが、どうも苦手なことが挙げられる。気を使うのが面倒だったのかもしれないかな。

ついでに書くと、吹奏楽では編曲されたオーケストラの曲を演奏する機会がとても多く、アレンジ版を演奏するくらいだったら、オーケストラそのもので演奏したほうが面白いのではないだろうかと考えた事も理由だ。

コンクールの結果は、3回出て、都の予選大会で銀1回、銅2回というイマイチな結果だったが、いまは都大会の本選へ出たりするくらいの実力校に自分の高校はなったらしい。めでたいことだ。

で、雪辱ではないけれど、数年前に、たまたま友人の所属する一般の部のカテゴリーでエントリーした団体に手伝いで参加して、タナボタ的に1回だけ全国大会出ました。ラッキーだったけれども、その代わりコンクール期間の2ヶ月間くらい、既婚の分際で土日をすべて捧げたのだった。(これを毎年繰り返すのは社会人には無理かな。)

一音一音にこだわりをもって音色を作っていくプロセスは勉強になったけど、ベースが個でプレイするオーケストラの方が性に合っているようだ。自立的な個が有機的につながることで表現を行うオーケストラに比べ、吹奏楽が指導者のキャラクターに依存する割合が高く、集団そのものから先は細かく分けられない感じがしたからかもしれない。もちろん、個の努力の結果であることに変わりはないのだが。

あと疑問なのが、オーケストラでもめったに演奏しないようなマニアックな曲が、アレンジされて吹奏楽でしばしば演奏される光景は、なんとも不思議なものを感じます。例えば、Ottorino Respighi: Belkis, Queen of Sheba (シバの女王ベルギス)は、吹奏楽では頻繁に取り上げられているようだが、オーケストラの世界ではめったに聴くことのできないマイナーな曲だ。

もう少しメジャー度が上がる曲、例えばカルミナ・ブラーナ、を取り上げる姿勢もさっぱり理解できなかったりする。が、まあいいや。でもね、合唱と一緒に60分間きっちり演奏するほうが、何倍も楽しいですよ。

それに、作曲家自身の元の意図に対して、第三者の翻訳が入った編曲版よりも、吹奏楽向けに作曲家が一から書き上げたオリジナル曲にこそ、すぐれたものがあると思うのですが。

コンクールでは、それでは満足な結果がでないんでしょうかねぇ。

それとも私が保守的なのか?

それにしても、いい天気すぎて勉強がはかどりません。