ほーりーの日記

2003年に留学して開始したブログ。2018年5月に他のブログから引っ越してきました。

色が無い

どうも調子が出ない。

 

色を感じないのだ。

無味乾燥な世界に生きている気がする。

味覚はあるし、食欲は無くは無いので、コロナではないと思う。

 

通勤時間で往復3時間以上を浪費する日々に比べれば、テレワークは時間をたっぷり使えるし、疲れないし、コロナにならないしと、いいことづくめなんだけども、私は、人と対面で仕事をしたいタイプなんだと、つくづく感じています。

 

孤独感が、原因であることは間違いない。

 

SNSでは素性がバレているし、そこでネガティブな事を書くのは、いいことは無い。

このブログは、見る人も少なく、日記的な使い方になっているので、

たまには調子が悪いことを書いても問題ないだろう。

 

 

狭い社会

今日は、所属する会社の大規模イベントの日。3日目。
 
イベント会場で開催予定だったけど、コロナでムリなので、オンラインへ4月に切り替えを決意。
 
全60セッションの企画を、そのままオフラインからオンラインへ移し替えた。
2日間で実施するプログラムを4日間へ広げた。
 
ところで、今日は、そのイベントの運営をお願いしている広告代理店の担当の上司の方が挨拶にいらっしゃって名刺交換。
 
16年前に留学から戻ってきて受けた会社の面接官だった人でした。(結果は落ちた)
私の力不足で落ちたのであって、悪い思い出はないので笑い話ですけども。
 
世間は狭いものです。

これまで住んだ土地を書き出してみる

横浜港を見下ろす山下公園沿いに存在した公立病院で生まれる。

二俣川(2年)→小平(2年)→日野(23年)→市が尾(2年)→浦安(3年)→Wales、Aberystwyth(1年)→浦安(6年)→千葉(10年)

 

※Aberystwythでは学生寮内を5回引っ越しをした。

※浦安では、10年居を構えてましたが、うち1年は留学してて、家は空き家というか物置だった。

多摩地区・横浜・千葉と東京23区を避けるような引っ越し人生。

転職のスイッチのタイミング

お世話になりました。

皆さんのおかげで成長することができました。ここでの経験を活かし、次のステップでは、新たなチャレンジを通じて自己実現を果たしたいと思います。

 

転職理由は、前の会社では実現できないことがあり、いまの新しい会社だと実現できるから。

 

芸能ニュース見て思いました。

 

そんな訳は、多少は、あるけども、本音は違うよね。

本当の理由は、前の会社の自分に対する評価が、自分が考える評価との間に、埋めれないギャップがあって、未来永劫に埋まらないと判断したからに他ならないのである。

 

それでも、そんな私を会社は引き止めてくれるよ。

理由は、こんな感じ。

1 雪崩が怖いから。つまり、周りの人も、自分には未来がないと思い込んで、他へ移ろうとしてしまうこと。仲の良い人は、影響を受けやすい。

2 大きくは評価はしていなくても、まあまあ評価している場合。それは、居れば居るなりに役にはたっているから。飼い殺しである。

 

3年続けて成果を出し続けているのに、溝が埋まらなければ、それは会社の評価基準や上司の評価基準とは、一生相容れないと判断した方が良い。

つまり、転職のスイッチのタイミングの到来である。

とても悲しい

高校の部活動、ブラバンで活動した同級生が今年2020年4月に急逝した。

 

コロナ感染拡大もあり、葬儀への参列は叶わず、6月に入ってから、故人を偲ぶ機会を残された家族にいただき、ブラバンの仲間10名ほどと大勢で、ご自宅に伺った。

残されたダンナ自体も、同じ高校の同級生かつブラバンなので、われわれは、すでに知り合ってから30年が経っており、高校時代の色々な思い出、吹奏楽コンクールや定期演奏会の取り組み、大学生・社会人になってからも、旅行に行ったり、BBQしたり、いろいろな時間を過ごしてきた。

 

1週間が経ったが、心に突き刺さり、今日土曜日は、日々の忙しさから開放され、その重みでどうにかなりそうである。50を前にして伴侶を突然失った彼の気持ちが心配である。

私の母は56歳でガンで他界しており、もはや年齢は、近い。その時の父の取り乱しっぷりを思い出すと、友人の心の痛さは、近いものなのではないかと想像できる。

いや、今になって、当時父が、どれだけ悲しんでいたのか、友人の悲しみを通じて理解できる気がしている。

 

死因は脳炎とのことだが、これまで元気にされていたのに、数日の微熱の後、突然の急逝となったとのことで、残された家族は、この事実を受け止めきれないのだと思う。

 

そして私も悲しい。

底無し沼にいるようだ。